いつもの季節で逢いましょう

「冷やし中華始めました」という文字が、空腹の僕の目に飛び込むと、ああ、もうそんな時期かと思う。そう、23度目の「冷やし中華始めました」はやはり23度目も同様に、唐突に始まり予告もなく終わるだろう。

冷やし中華を扱う店の年間スケジュールには「冷やし中華始めます」の文字が期待と不安入り混じった文体で、枠からはみ出すくらいぶっきらぼうに書き散らされ、野菜の千切り加工工場で働く工員は繁忙期の訪れを微かに感じ、みずみずしさそのままに野菜たちをチルド冷凍する。卵麺の卸業者は昨今の博多細麺ブームに対抗すべく、あえて太麺で挑もうと画策を練り上げ、酸味の効いたつゆ作りの職人と試行錯誤する。

花火大会が行われるころ、夕方の露天で冷やし中華を食べながら、卒業を控える若い恋人たちは「夏だけだから」の言葉にセンチメンタルを感じ、色とりどりの野菜の盛り付けの様に花開く大型花火が打ち上がるころ、産声をあげる赤ん坊は冷やし中華と同じくして人生を始める。

きっとこれから10年、30年先も変わらず冷やし中華はひっそりと始まり、誰に気付かれるでもなく終わるだろう。そして、いずれ訪れる冷やし中華の終わりを少しだけ憂いながら、僕は初夏の訪れを予感させる夜風に吹かれていた。