祭り

祭り囃子の音が閉め切られた窓のすぐ側から聞こえてくるほど近い場所から、酔いどれたままに打ち込んでみる。こういうときは面白いか面白くないかの二極化だろうとは思う。けれど、折角だから特に考えもしないまま
瞬間の思いを言葉にしてみるのは「筆者として」面白いかもしれない。

定時後の英会話研修を終え、時計の針が8時半を示す頃に会社を出る。10分ほど歩き家に近づくにつれて、祭り囃子の囃し立てる音やタバコを燻らせる若者を見かけるようになる。綿菓子やフランクフルト、そうした文字が闇の中でひときわ目立つようになると「夏祭り」という言葉が妙に心に響いてくる。お小遣いという制限のもとで「自分自身の最適欲求を満たすため」の日々が遠ざかってしまったことを知る。近くのコンビニで程よく酔えるだけの酒を買い、狭いワンルームでソファに横たわりながら太鼓の絶え間ない音に耳を澄ませる。

スマートフォンをいじくり、まとめサイトで見かけた出産・分娩の動画をグラス片手に眺める。「グロい」「見るんじゃなかった」という言葉とは裏腹に生命の誕生に感動する自分に気づくと、恐らく妊婦ではなくその子供や観察している第三者の心境で捉えているのだと分かる。痛みほど他人に共感しえないものはないからだろうか。

ここ数日仕事に追われ、気がつけばひとりきりの部署の片隅で坂本九の「心の瞳」を聴きながらディスプレイと向き合っている現状を鑑みると、他人の感情を推し量るほどの余裕を持ち得ていなかったことに思い至り、反省の弁を込めて執筆。酔えば酔うほどに言葉にならない独り言をひたすらに打ち込む。明日の朝になれば訪れる恥ずかしさを少しだけ想像しながら、徐々に眠りに近づいていく。