サウンドタイピング

内線電話がけたたましく鳴る。雑な衝撃音が届かぬようそっと手に取り、申し訳程度の—しかし何かと重要視される—挨拶を口にする。受話音量が最適であれば良いのだけれど。依頼内容を都度反復し、今すぐに、と返答する。今すぐとは現時点からどの程度の時間までの猶予期間をさすのだろう。恐らく、そうしたことを考える時間は含まれないのだろうと考える。

いくつかの資料の印刷を隣でキーボードを打楽器のようにする同期に依頼し、キャビネットの中から古い資料を持ち出し小脇に抱える。手渡しされた資料を垣間見てから、うん、見やすい、ありがとう、と円滑さを保つためのフレーズを残して席を立つ。同期が文章をタイピングする前にはきっとディスプレイにいくつかの演奏記号が表示されていて、「快速に」であるとか「荒々しく」「激情的に」といった指示がなされているのだろう。僕よりも半音高いエンターキーの音が耳元から遠ざかる。全て黒鍵のように彩色されているからだろうか。調律の悪いスペースキーとエンターキーの寿命を思う。

エレベーターをじっと待ちながら、窓の外をふと見ると照りつける太陽で風景が溶けていくような、そんな気がしてくる。こうして高層階から外を眺めるひとは大抵地上を見下ろすので、何となく見上げてみる。きっと地上にいるときと空に対する距離感はそれほど変わらないのだろう。室内楽団が鳴らす電子音と不規則な打音が頭の中をぼんやりとさせる。

短い打ち合わせが終わり、フロアに戻る。ひとそれぞれに割り振られた演奏記号の中で、時折響く床面を叩くヒールのように高い音。キーボードがもしも打楽器だったなら、全ての音楽家は指揮することを諦めるだろうと思う。マウスのカチリ、という音の後で僕は目立たぬよう「歩くような速さ」で指摘された箇所の訂正を行う。恐らく僕のキーボードの中で最も寿命が短いと思われる「delete」キーを押しながら。