実直フライドポテト

結婚式に流す曲なんだけど、と言って彼女は前髪をそっと耳にかける。「私を泣かせてください」にしようと思うの。 いや、その歌は結婚式にはふさわしくないよ。どうして?どうしてって、そもそも、どういう意味の歌詞なのか分かっているの?いいえ、でも、す…

旅だより

小春日和の大阪を出て、ひたすらに北上する電車の終着地は細雪がちらついていた。遠くの尾根にはまだしばらく溶け切ることもないだろう、白い冠がしっかりと残っていて、時折吹く冷たい風はこの土地に訪れるはずの春がまだ先であることを示しているようだっ…

融ける

目覚めは静かだった。陽の光がうっすらと部屋の片隅にそそがれる朝。窓の外は徐々に空の色を淡い橙色に染め始めているものの、紫色に染まる中間色のような不安さが残っている。窓を開け放つと、吐く息が白い塊になって昇華していく。冷たい空気が頬を刺し、…

It It You Think

電話越しの彼女の声は、遠く300km先から電波に乗せて信号となり、空気を媒介として僕の鼓膜を振動させ、自然言語として認識できる限り、3度同じフレーズが繰り返されていたように思うが、いずれの言葉に対しても僕は「そうだね」と素っ気なく口にし、や…

フー ハズ ノウン

昨夜の出来事について確かな記憶は残っていない。太陽の光が直接注がれ、眩しさに目を細めながら目覚めると、ぼんやりと周囲を確認する。こじんまりとした狭いフローリングの部屋には、簡素なソファと脚の短いテーブル、白い陶器のマグカップがあった。起き…

ホットケーキが焼けたなら

小振りなフライパンを手に取ってしげしげと見つめる。片手で持ち上げると見た目以上に重みがある、柄のデザインが特徴的なステンレス製。特別料理が好きなわけでもなく、調理器具にこだわるようなことは一切なかった。ただひとつ、このフライパンを除いて。 …

再生可能な記憶の限界値

朝目覚めると、枕元からかすかな音が聞こえていて、それは昨夜眠れなくなった頃からリピートとシャッフル再生を繰り返していた、MDプレイヤーから流れる音だと気づく。バッテリーがわずかに残る程度。けれど、通学時間に聞く分には事足りるだろう。停止のボ…

ヒストリカルサイン

彼女の名前を口にするたび、僕はひどく奇妙な心地がした。それは具現化できるものではなく、誰もが目にしたことがないにもかかわらず、一つの概念として理解されていたからであり、そうした呼称で呼ばれることを彼女はあまり気に入っていなかったにもかかわ…

オブジェとしての彼女

ふとしたときに美術館へ足を運ぶ。隣に彼女がいたのなら、例えば手をつなぎながら目の前の作品のひとつひとつについて互いに感想を交わすだろうか、と考える。彼女ならどう評するだろうか、と。現実的でない、と切り捨てるだろうか。それともただただ無言の…

別れに最適な木曜日

失恋に適した日があるとするなら、木曜日だろうと思う。木曜日の夕方、曇り空の街並には何かの兆候のように雨が降り出し、ろくに天気予報も見ないまま家を出た僕の頭を、肩をじわりじわりと濡らしていくと、やがてそれが合図であったかのように彼女はさよな…

アバウト ア ライト

0時を過ぎると、シンデレラの魔法は解ける。港町を見渡せる公園から見える夜景を目の前に、ふとそうしたことを思い出す。時刻は23時。 深夜の中華街は賑やかであったであろう空気を微塵も残さない。最小限に抑えられた照明は深夜に至ってもなお営業されてい…

真昼の夢とノンフィクションメーカー

ファミリィレストランのテーブルに妙齢を過ぎたであろう女性たちが5人、集団を形成している。彼女たちの話し方は独特だ。発言者の声は途中途中で遮られ、それが非難されることもない。断続的な内容であっても彼女たちにはさほど影響しないようで、それは恐ら…

子供と大人

賢いということは子供であるということ。成長することが賢さを生み出すのではなく、むしろ大人になるにつれてひとは賢さを失う。安物の酒を飲みながら読んでいたにも関わらず、酔い気が醒めてしまう言葉の連続。いままでのどんな休日よりも刺激的な知識の貯…

花火

今日は淀川で花火大会が行われるということで、これだけは近場であったことを幸運に思わずにはいられないのだけど、嬉々として家を出た。確か昨年はそれほど側には近づかずに、沿道の側で建物の後ろで咲く花火を見ていたと思う。今年はより近づいて、いっそ…

施しは指先から

作者は悩んでいた。今月の生活は厳しく、貯金を食いつぶし、来月の生活の見通しが立たないところにまできていた。売れない絵本作家。作品がまとまらない。作者は悩んでいた。 ふと唐突に、まるで玄関から踏み出す際に忘れ物があることを思い出すかのように、…

非日常的タクシー

本来であれば、こうした話には信憑性を伴わせるためにある程度の脚色はあるにせよ「事実」がとかく問われがちだ。けれど、どのような解釈がなされようともこの話はただひとつの「物語」であり、脚色のない「事実」だということを先に申し上げておく。ともす…

いつもの季節で逢いましょう

「冷やし中華始めました」という文字が、空腹の僕の目に飛び込むと、ああ、もうそんな時期かと思う。そう、23度目の「冷やし中華始めました」はやはり23度目も同様に、唐突に始まり予告もなく終わるだろう。 冷やし中華を扱う店の年間スケジュールには「冷や…

誰かが誰かの審判

エアコンの効いた駅近くの喫茶店。注文されたアイスコーヒーは、日に照らされた僕らが流す汗のようにじんわりと結露を作る。テーブルの上を滑らせ、引きずられるようにして出来た少し歪な図形を紙ナプキンで拭う。 最近また書いてたりするんだろう、と友人が…

日常とフィクション

スーパーマーケットに面した道路の歩行者用信号機が点滅を繰り返し、まさに切り替わらんとするころふたりの女の子がわっと駆け出していく。背格好がひどく似ていて僕は双子であるかもしれないと想像する。一方がもう一方の片手を引っ張るようにしている。す…

検索された夏

夏の始まりは不器用な着こなしの僕を少しだけいらつかせる。特有の湿度と暑さはコンクリートの上、うだるような空気をたゆたわせる。ポケットの片方を重たくさせる携帯電話を手探りで取り出すと、ガラス面に付着した手汗を拭う。太陽の光に照らされた画面は…

サウンドタイピング

内線電話がけたたましく鳴る。雑な衝撃音が届かぬようそっと手に取り、申し訳程度の—しかし何かと重要視される—挨拶を口にする。受話音量が最適であれば良いのだけれど。依頼内容を都度反復し、今すぐに、と返答する。今すぐとは現時点からどの程度の時間ま…

祭り

祭り囃子の音が閉め切られた窓のすぐ側から聞こえてくるほど近い場所から、酔いどれたままに打ち込んでみる。こういうときは面白いか面白くないかの二極化だろうとは思う。けれど、折角だから特に考えもしないまま 瞬間の思いを言葉にしてみるのは「筆者とし…

目に映る風景イコール

夜8時の定食屋には温かい夕食を待ち望む人たちが集まる。TVもラジオもない、電子音化されたいつかのヒットチャートだけが申し訳程度に流れる場所。対面がセパレートされたカウンターといくつかのテーブル席には、家族連れや学生、仕事終わりのOLや疲れきっ…

確かに存在した記録とおぼろげながら残る記憶

環状線の電車に乗り込むたびに、ふと昔のことを思い出す。それがいつのことだったかを確かには思い出せないものの、少なくともそれほど遠い頃の記憶ではないだろう。「カンジョウセン」とはつまり「感情線」のことなのだろうと解釈していた。文学的な表現か…